2026年現在、昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子)であり、今上天皇の叔母にあたる島津貴子(旧名:清宮貴子内親王)様は、戦後の皇室と民間を結ぶ象徴的な存在として広く知られています。1960年のご結婚による皇籍離脱から半世紀以上が経過した現在、その多彩なキャリアやこれまでの歩みには、どのような歴史的背景があったのでしょうか。
本記事では、公式記録や信頼できる報道に基づき、島津貴子様の現在の動向をはじめ、民間人男性とのご結婚の経緯、異色のキャリア、そして昭和・平成・令和を駆け抜けたその生涯を分かりやすく解説します。
島津貴子様の現在とご健勝の様子

昭和天皇の末子として誕生した貴子様は、令和の現在に至るまで多くの人々の記憶に残る存在です。2019年5月の時点で、存命の昭和天皇の皇女(内親王)は姉の池田厚子さんと貴子様の2人のみとなっており、日本の現代皇室史を直接知る貴重な皇族の一人でもあります。
長年連れ添われた夫である島津久永氏は学習院時代からのご縁があり、民間企業での勤務や海外赴任など、公私ともに波乱万丈かつ充実した人生を歩まれてきました。高齢となられた現在も、公の場には控えめながら、旧宮家・旧華族や皇室ゆかりの人間関係を大切にしつつ、穏やかな日々を送られていると伝えられています。
「平民かつ次男」との世紀の結婚と皇籍離脱の経緯
貴子様の人生の大きな転換点となったのが、1960年(昭和35年)3月10日のご結婚です。お相手は日本輸出入銀行員であった島津久永氏で、日向国佐土原藩主家の第14代当主である島津久範伯爵の次男でした。さらに久永氏の母方等を通じて香淳皇后と久永氏は従姉弟同士にあたる血縁関係もありました。
この婚姻は、皇室典範制定以来初めて「旧宮家・旧華族の当主やその継嗣に当たらない平民かつ次男」との結婚事例となりました。前年の1959年3月に毎日新聞のスクープによって婚約が明らかになると、「見合いで『平民』と結婚する清宮」として、皇太子明仁親王(のちの上皇陛下)と正田美智子様の「恋愛結婚」と比較され、世間を大きく沸かせました。
この一連の報道は戦後皇室報道の黄金期を築き、新婚旅行で宮崎県を訪問された際には一大観光ブームが巻き起こるなど、国民的アイドル的な人気を集めることとなりました。
島津貴子様の歩みと主な経歴・年表
貴子様は皇籍離脱後も、従来の「おしとやかな皇族像」の枠にとらわれない、先進的なキャリアやライフスタイルを選択し続けました。以下に、その主な歩みを年表形式で整理します。
| 時期 | 出来事・主なトピック | 備考・詳細 |
|---|---|---|
| 1939年(昭和14年) | 誕生 | 3月2日、昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(清宮貴子内親王)として誕生。お印は橘。 |
| 1960年(昭和35年) | ご結婚・皇籍離脱 | 3月10日、島津久永氏とご結婚。学習院大学文学部を中途退学し、民間人となる。 |
| 1962年(昭和37年) | 長男・禎久氏の誕生 | のちに写真家として活躍する長男の島津禎久氏をご出産。 |
| 1964年(昭和39年) | 宝冠章受章・渡米 | 勲一等宝冠章を受章。夫の米国・ワシントン赴任に同行し、海外生活を経験。 |
| 1970年(昭和45年) | 社会進出・大阪万博出演 | インテリアコーディネーターとして東京プリンスホテル内の「PISA」に就職。大阪万博では司会も務める。 |
| 1975年(昭和50年) | シドニー駐在同行 | 夫のオーストラリア・シドニー駐在に伴い、二度目の海外居住へ。 |
「異色の皇女」と呼ばれた多彩なキャリアと社会進出
結婚によって民間人となられた後も、貴子様の活動は世間の注目を集め続けました。特に1970年、インテリアコーディネーターの資格を活かして東京プリンスホテル内のショッピングモール「PISA(ピサ)」に就職されたことは、当時の皇室出身者としては極めて異例の「民間企業での本格的な就労」として大きな話題を呼びました。
宮内庁宮務課が「私企業だと好ましくない」と難色を示す場面もありつつも、本人の強い意欲と時代の後押しもあり、取締役等の名誉職も含めてビジネスの世界でキャリアを築かれました。また、同年の大阪万博では開会式・閉会式のテレビ番組で司会を務めるなど、タレント的なメディア露出もこなしました。昭和天皇も国民と皇室の距離が近づくことを好意的に受け止めつつ、その新しいあり方を見守られていました。
ファッションアイコンとしての人気と当時世間に与えた影響
若い頃の貴子様は、皇太子妃となられた美智子様と並び、昭和のファッションアイコンとして絶大な人気を誇っていました。1963年に週刊誌『女性自身』が実施した「ベストドレッサーはだれか」というアンケート調査では、名だたる女優陣を抑えて2位にランクインし、皇太子妃美智子様を上回る票を集めるなど、その洗練されたスタイルは若い女性たちの憧れの的でした。
また、ご自身の成人の記者会見で「私の選んだ人を見て下さって…」と語った言葉は当時の流行語となり、恋愛結婚に対する社会的意識を変えるきっかけを作りました。ペレス・プラード楽団が「プリンセス・スガ」という楽曲を捧げるなど、国内外でカルチャー的な影響力を放つ「新しい時代の女性像」を体現された存在でした。
【島津貴子現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:島津貴子様は現在、どのような暮らしをされているのですか?
A1:夫である島津久永氏と共に長年にわたり公私を支え合いながら、現在はご高齢となられたため静かに穏やかな日々を送られています。
Q2:島津貴子様とお子様(ご家族)の現在の状況は?
A2:長男である島津禎久氏は写真家として独立し、それぞれの分野でご活躍されています。
Q3:香淳皇后と島津久永氏の間にはどのような血縁関係があったのですか?
A3:香淳皇后と島津久永氏は、薩摩藩主の島津忠義を祖父に持つ従姉弟(いとこ)同士の関係にあたります。
まとめ:昭和から令和へと受け継がれる「新しい皇室像」の原点
島津貴子様の歩みは、戦後の日本社会が急速に近代化・民主化していくプロセスと深く重なっています。「平民」とのご結婚という歴史的選択を成し遂げ、インテリアコーディネーターやメディア出演など、自らの力でキャリアを切り開いたその姿は、まさに「異色の皇女」として現代に通じる女性の自立と新しいライフスタイルの先駆けとなりました。
256年現在の視点から振り返っても、貴子様が昭和の時代にまき散らした新しい風や、皇室と国民を自然体で結んだ足跡は、日本の皇室史において色褪せることのない輝きを放ち続けています。