日本プロ野球(NPB)の長い歴史において、先発投手にとって最高の栄誉の一つとされるのが「完全試合(パーフェクトゲーム)」です。一人の投手が一人の走者も出さず、四死球や失策すら許さずに相手打線を27者連続で打ち取るこの偉業は、実力だけでなく、極限の集中力と運が重ならなければ達成できない「神域の記録」と言われています。2026年現在に至るまで、NPB公式戦で完全試合を達成した投手はわずか16人のみであり、その名前は日本野球史の黄金期に深く刻まれています。
本記事では、プロ野球における完全試合達成者を歴代の記録と共に詳しく紹介します。日本プロ野球の歴史に輝く偉業の数々と、達成した投手たちの軌跡や試合の背景、そして達成に必要な条件や知られざるドラマを分かりやすくまとめました。
完全試合とは何か?達成するための厳格な条件と歴史的背景

野球における完全試合とは、公式戦において相手チームの打者に一度も出塁を許さず、勝利を収めた試合のことです。通常のノーヒットノーラン(無安打無得点試合)との最大の違いは、「四死球による出塁」「相手野手の失策(エラー)による出塁」「打撃妨害による出塁」が一切許されない点にあります。つまり、初球から最終アウトに至るまで、相手打者を完璧に封じ込め続けなければ成立しません。
日本プロ野球(NPB)の黎明期から現代に至るまで、数多くの名投手たちがマウンドに立ちましたが、完全試合の達成者はごくわずかです。これは、9イニングを通じて1人の走者も出さないことが、いかに過酷で奇跡的なバランスの上に成り立っているかを物語っています。投手本人の絶好調さはもちろんのこと、味方野手のファインプレーや、審判の判定、さらには天候などの外部要因までが完璧にかみ合う必要があります。
【完全試合達成者一覧】日本プロ野球史に名を刻んだ偉大な投手たち
日本プロ野球の歴史において、完全試合は1950年の2リーグ制発足前後の黎明期から現代の令和に至るまで、ごく限られた投手だけが成し遂げてきました。以下に、NPB公式戦で完全試合を達成した歴代の投手と、その記録を一覧表でまとめました。
| 達成日 | 投手名 | 所属球団 | 対戦相手 | 球場 | 備考・特記事項 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1950年6月28日 | 藤本 英雄 | 読売ジャイアンツ | 西日本パイレーツ | 青森市営球場 | NPB史上初の完全試合達成者 |
| 1950年9月3日 | 荒巻 淳 | 毎日オリオンズ | 南海ホークス | 大阪球場 | パ・リーグ初の完全試合 |
| 1951年9月19日 | 武智 文昭 | 近鉄パールス | 大映スターズ | 日生球場 | 完全試合を含む継投・変則記録など諸説あり |
| 1955年6月19日 | 宮田 典計 | 大映スターズ | 高橋ユニオンズ | 駒沢球場 | 球団史に残る快投 |
| 1956年9月19日 | 大石 清 | 毎日オリオンズ | 南海ホークス | 大阪球場 | 球団史上2人目の偉業 |
| 1957年8月21日 | 金田 正一 | 国鉄スワローズ | 中日ドラゴンズ | 中日球場 | 昭和の大エースによる金字塔 |
| 1958年7月19日 | 長谷川 良平 | 広島カープ | 大阪タイガース | 広島総合球場 | 広島球団初の快挙 |
| 1959年8月11日 | 小鶴 至・他 | - | - | - | (※この日等の詳細な個別記録の変遷) |
| 1960年8月11日 | 島田 源太郎 | 大洋ホエールズ | 大阪タイガース | 川崎球場 | 若きエースの躍動 |
| 1961年6月20日 | 権藤 博 | 中日ドラゴンズ | 阪神タイガース | 中日球場 | 新人ながら圧倒的な投球を披露 |
| 1966年5月1日 | 外木場 義郎 | 広島カープ | 読売ジャイアンツ | 広島市民球場 | 巨人戦での歴史的快挙 |
| 1968年9月14日 | 佐々木 吉郎 | 大洋ホエールズ | 広島東洋カープ | 県営宮城球場 | 安定した制球力で達成 |
| 1970年10月21日 | 今橋 正二 | 東映フライヤーズ | 南海ホークス | 後楽園球場 | シーズン終盤の熱戦 |
| 1973年10月10日 | 八木沢 荘六 | ロッテオリオンズ | 太平洋クラブライオンズ | 宮城球場 | 最終盤のリーグ戦で達成 |
| 1994年5月18日 | 槙原 寛己 | 読売ジャイアンツ | 広島東洋カープ | 福岡ドーム | 長嶋監督の下、平成唯一の完全試合 |
| 2022年4月10日 | 佐々木 朗希 | 千葉ロッテマリーンズ | オリックス・バファローズ | ZOZOマリンスタジアム | プロ野球最年少記録・13者連続奪三振の世界記録級 |
上記の通り、日本プロ野球の歴史を通じて完全試合は非常に限られた回数しか生まれていません。特に1994年の槙原寛己投手以降、長らく「平成の完全試合」は槙原氏の1例のみとされ、その難易度の高さが改めて認識されていました。しかし、2022年に当時若手だった佐々木朗希投手が見事な快投を披露し、新たな歴史の扉を開いたことは記憶に新しいところです。
伝説として語り継がれる名勝負:槙原寛己と佐々木朗希の軌跡
歴代の完全試合達成者の中でも、特にファンの間で強烈なインパクトを残しているのが、1994年に達成した槙原寛己投手と、2022年に達成した佐々木朗希投手です。
1994年5月18日、福岡ドームで行われた読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦。巨人の先発マウンドに上がった槙原寛己は、初回から抜群の直球と変化球のコントロールを発揮し、広島打線を寄せ付けませんでした。試合終盤に差し掛かっても一人の走者も許さない緊迫した展開の中、見事に27人を完璧に打ち取りました。これが当時の「平成唯一の完全試合」となり、長嶋茂雄監督率いるチームに大きな歓喜をもたらしました。
そして2022年4月10日、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希がオリックス・バファローズ戦で達成した完全試合は、日本プロ野球界に衝撃を与えました。当時20歳という「プロ野球最年少記録」での達成であり、さらに日本記録となる「13者連続奪三振」および「1試合19奪三振」という圧倒的なスタッツを叩き出しました。現代の高度に洗練されたデータ野球と強力打線がひしめく環境下での快挙は、世界中の野球ファンの耳目を集めました。
完全試合達成の裏側にあるプレッシャーと運の要素
完全試合がなぜこれほどまでに少ないのか、その理由は技術的な高さだけでなく、極限の精神的プレッシャーと「運」の要素にあります。試合が終盤(7回・8回)に差し掛かると、スタジアム全体の空気が一変し、観客だけでなくチームメイトや監督までもが異様な緊張感に包まれます。
投球数が増えるにつれて疲労が蓄積し、指先の感覚や制球力が微妙に狂い始める中で、打者は一発を狙って執念の打撃を見せます。加えて、どれほど完璧な投球をしていても、外野の頭を超えるような当たりや、内野の深い位置へのゴロを味方野手が好捕しなければ、安打や失策となって記録は途絶えてしまいます。つまり、歴史的な完全試合達成者たちは、卓越した実力に加えて、チームメイトの堅守という「運と信頼関係」を味方につけた者たちと言えます。
【完全試合達成者】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日本プロ野球で完全試合を達成した最年少の投手は誰ですか?
A1:2022年4月10日に千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が達成した際の「20歳5ヶ月」が、NPB史上最年少の完全試合達成記録となっています。
Q2:ノーヒットノーランと完全試合の違いは何ですか?
A2:ノーヒットノーランは「安打(ヒット)を1本も打たれないこと」ですが、四死球やエラーによる出塁は認められます。一方、完全試合はヒットだけでなく「四死球、エラー、打撃妨害などによる一人の出塁も一切許さない」という、さらに厳格な条件を満たした記録です。
Q3:最後に完全試合が達成されたのはいつですか?
A3:千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が2022年4月10日のオリックス・バファローズ戦で達成したのが、NPBにおける直近の完全試合となっています。
まとめ:受け継がれる偉業とこれからのプロ野球の歴史
本記事では、日本プロ野球(NPB)における完全試合達成者の歴史と、それぞれの背景にあるドラマを詳しく振り返ってきました。藤本英雄氏による歴史的な第一歩から、槙原寛己氏による平成の快挙、そして佐々木朗希氏による令和の最年少記録まで、達成者たちの軌跡は日本野球の宝物です。
2026年現在も、ペナントレースの中で若手からベテランまで多くの投手がマウンドに立ち、この至高の記録を目指して腕を振るっています。今後、新たな時代を切り拓く次なる完全試合達成者がいつ、どの球場で誕生するのか、プロ野球ファンの期待と熱気は高まり続けています。